師走茶会2017/12/12 12:03


9日(土)、女子大1年生の孫娘の関係で、東博にある茶室で一服してきた。
「関東裏研(裏千家関東学生茶道研究会)」主催の師走茶会、久々のお濃茶席でした。
美味しかったな〜。

奈良の八窓庵などと大和の三茶室といわれる「六窓庵」(写真上)での、
学生に依るお手前でしたが中々良い席でした。
午後の冬日は陽が長くさし、6つある窓から入る陽が優しい茶席になりました。
補助の電灯を消してもらい、昔の茶人の心に少し触れる事が出来た気がする。
よかった〜。

菓子は「冬菊」、稲茶の先輩笹間さん(神田駿河台下・ささま)にお世話になった。

応挙館で受付。濃茶の席が3席有り(六窓庵、転合庵、春草廬)、僕は孫がいる六窓庵の3席めに入ることになった。その間に応挙館でお薄をいただく。応挙が描いた広間のふすま絵を堪能した。原画(墨画)ではなく、2007年、最新のデジタル画像処理技術と印刷技術を駆使した複製ものだが、なかなかの出来映えだった。DNPのデジタル技術は素晴らしい。

六窓庵(ろくそうあん)   (東博HPより) 
慶安年間(1648~1652)に奈良の興福寺慈眼院に建てられたもので、
もとは興福寺大乗院内にあり現在奈良国立博物館に移された八窓庵、
東大寺塔頭四聖房の隠岐録(おきろく)とともに大和の三茶室といわる。
明治8年(1875)に東博が購入、解体輸送中に伊豆で船が難破、幸い材は流失をまぬがれて明治10年(1877)に東博に移築。その後、第二次大戦中再び解体され疎開したが、
昭和22年(1947)9月、数寄屋の名工木村清兵衛により現在の位置に再建された。
入母屋造、茅葺きで席は三畳台目出炉、金森宗和(1584~1656)好み。


水屋、寄付、腰掛など
明治14年(1881)に古筆了仲(こひつりょうちゅう)によって設計、増築された。
にじり口にある手水鉢は、四方仏水盤といわれる形式のもので、
延長3年(925)関白 藤原忠平が建立した法性寺(山城国)の石塔のひとつ。
その後、銀閣寺を経て所有者が幾人か変わり、明治18年(1885)に東博の所有になった。(以下の写真は、東博HPから転載)
寄付(よりつき)、次席の待合せの部屋。寄付で席に入る客を知る。正客を決める。
手水鉢(ちょうずばち)。にじり口にある四方仏水盤といわれる形式
腰掛待合(こしかけまちあい)。寄付から待合に案内される。正面が正客、左腰掛が連客。
にじり口から水屋を見る。天井の電灯を消すと雰囲気ががらっと変わった。冬の長い陽射しが差し込み、ユッタリした気持ちになる。茶釜から立つ湯気が陽射しに揺れていた。

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック