3月11日から半年2011/09/11 15:41

染まり始めたハゲイトウ
悪夢の3月11日から半年経った。

まだどこも復旧・復興の鎚音が聞こえて来ないのは何故だ!
そしてF1ではまだまだ海中へ、空中へ放射能を出し続けている。
http://mainichi.jp/select/weathernews/20110311/nuclear/news/20110909k0000m040164000c.html

収束どころか、隠していた(?)実際のデータがポロポロと溢れてきている。そして今までに公表されてきた数値との余りの違いは何故だ!
もっと怒りを出していきたい。
あまりにも酷すぎるのではないか。無知というより犯罪だろう。

衆院厚労委員会で参考人として証言した東大教授、児玉龍彦さんのこの映像you tubeを見て、真実を聞いて欲しい。
http://www.youtube.com/watch?v=eubj2tmb86M&feature=player_embedded

地震発生直後、気象庁はマグニチュードを7・9と発表。
(最終的にマグニチュード9に修正したのは3月13日午後1時前)
しかし長野市松代町にある 「精密地震観測室」 では、3月11日の地震発生10分後に、マグニチュード9を算出していたことが分かった。

しかし、 「地震波形のデータが振り切れていて、妥当な値ではない」 という理由から東京の気象庁に報告されず、津波警報の高さ予想にも反映されなかったという。
もしこの時瞬時に報告、反映されていたとしたら、津波の被害がもっと抑えられていたのではないか?
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2011091000168

松代の精密地震観測室は、世界でも最先端の器機が配置されている。
http://www.grn.janis.or.jp/~matu-jma/

昔起きた松代群発地震(5年も続いた。学生時代に帰省する度に松代群発の話題が出ていた。)を契機に、広く地震に関する総合的研究機関を松代に創設することを地元が国に要望。当時の松代町長であった故中村謙次郎氏は、 「物・金より学問・研究がほしい」 という名言を残し、当地を観察した当時の佐藤首相も中村町長の熱意に動かされ、地震研究機関の設置を約束したといわれる。

歴史も実力もある精密地震観測室の数値が、何故無視されたのか?
発生から半年を迎えた今になって、何故事実が公表されたのか? 意図的な行為を感じるのは僕だけだろうか。

半年後の日本には鉢呂氏のような、どうしようもない政治家たちがまだまだウロウロしている。

今朝モモチャンは遊歩道の散歩をした。
友達には会えません、残念。
朝食は定量、カボチャをぺろり、うんこもOK。