真田家の菩提寺、長國寺2015/09/16 09:21


同級会の宴が終わった翌日、松代藩の歴史を築いた真田家の菩提寺、長國寺を訪ねた。
門をくぐると目の前に忽然と現われた威風を誇る長國寺。
他の寺には見られない、なんか重い感じが、、、武士たちの霊が乗り移ったのか?
僕にはとても不思議な感じがした他の寺とは違うものとは、、、
判りましたよ。屋根の上の対の鯱(しゃちほこ)が、不思議なパワーを出していたのだ。

寺に鯱か? ホント? なぜ鴟尾(しび)でないのか? 
明治に火事で焼失、本堂を再建。
更に昭和53年に屋根の修理、平成15年に大修理とその時々に色々な手が入り、
海津城(松代城)の屋根に取り付けられていた物を取り付けたと、記録がある。
そうか〜、海津城の鯱か、防火のまじない、納得したね。


松代城は、武田信玄によって築かれ、当初「海津城」と呼ばれ、
武田にとって、北信の要の城であったという。
あの川中島の合戦は、海津城を舞台に繰り広げられたのだ。

城と武将については下記のブログが詳しい。
http://www.asahi-net.or.jp/~qb2t-nkns/matusiro.htm


来年のNHK大河ドラマ「真田幸村」ではまた注目を集め、アンノン族の年寄りたちが
大挙押し寄せるであろうことは容易に想像出来る。
真田家の菩提寺として創建され、歴代松代藩主の墓所でもあった長國寺、
真田一族ゆかりの寺宝が数多く残るという。

中でも、明治の大火での焼失を免れた「初代松代藩主真田信之公の霊廟」(上写真)は、往時の真田家の繁栄を彷彿とさせるきらびやかな造りで、国指定重要文化財だ。
日光東照宮の「眠猫」で有名な、左甚五郎作の「鶴」の破風(はふ)は、
色あせてはいるものの当時の面影を残している、素晴らしいよ。
コンデジはこうゆう時アップが取れないので残念だね。
また天井画は狩野探幽のものだと、ガイドの説明(下写真)があったが、
今回は見なかった。(お金を出せば中にも入れるらしい)。

真田家300年の歴史を語る長國寺、静寂な佇まいを見せていた。


ところで現代の当主は14代めになり、横浜に住んでいるという。

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