恩師の死2014/08/17 17:07


昨日11時30分、中学校時代の恩師水出安雄先生がお亡くなりになった。
享年89歳。天命を全うしたというところだろう。
昨年同級生皆で、米寿のお祝いにと、iPadを贈呈している。
中学を卒業してから50余年になる今も、皆から慕われていた。

50代で心臓の大病と手術を乗り越えているので、長い闘病生活ではあった。
が、クールな頭は最後まで明晰で同級生の名前をフルネームで言えた。
そして我々の数々の悪を一人で責をとり、小さな才能を護り育ててくれた。
結果40数名のクラスから3名もの博士が誕生している(内1名はハードな博士論文作成後に病死)。そして作家猪瀬直樹も誕生した。

海軍で敗戦、決定的なダメージを持って帰国帰省。教員資格を持つ20歳後半の青年は、この悔しさをこれからの子どもたちに、アメリカに勝つための教育を徹底的にすることに燃えた。その熱意が県教育委員会から認められ、
信州大学教育学部附属長野中学校に転任した。
そして初めて担任したのが僕たちのクラスC組みだ。
3年間変わらずに担任をした。

数学が担当ではあったが、もう一つは音楽の資格も有した。
当時初めて登場した授業に「道徳」があった。今の道徳授業も中々難しいと思うが、当時はクラスの担任それぞれが考える道徳で、自由に出来た(らしい)。
だからクラス毎に道徳の授業の中味が違っていた。
指導した文部省も模索中だったのだろう。

そこで数学担当の教官(国立大学の附属中なので、先生は教官と呼ぶ)は、
「道徳とは、<どうとく>だ。つまり数学の授業でいいはずだ」とばかりに、
僕らのクラスC組みでは、殆どが数学に当てられていた。そしてカリキュラムには無い数学遊びをしたように、記憶している。
また或る日の道徳はコーラス、輪唱だったりした。ピアノが上手で、
声もバリトンの良く通る声だった。
上の写真は先生宅応接間のアップライトピアノの前で撮った2年前のもの。

書き出したら止まらない。いろいろの想い出がこみ上げてくるよ。

いずれにしろ僕も多くの恩師に恵まれ、叱咤激励、導かれて今日があるのですが、教官は、特に厳しく優しく愛情一杯の指導者であったのは間違いない。

心よりご冥福をお祈り申し上げます。
合掌

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