新潟日帰り700Km ― 2014/08/25 09:53
昨日は墓参で新潟へ、みいさんとモモで日帰りで行って来た。
新潟に入ると、関越道は越後平野の真中をまっ〜すぐに伸びる。
片道330Kmの往復を一人で運転した。
行きは好天、帰りは雨になった。
みいさんの生まれ故郷は新潟の新津。今は新潟市秋葉区になってしまった。
かつてはSL機関車の車輌製作などで繁栄した街だったが、
ご多分に漏れず、この街もシャッター街になっていた。残念だ。
磐越西線の終点であり会津方面からの人や物品の交流も多く、
大変に栄えた街でしたが面影が薄くなった。
300年ほど前に生まれたといわれる平核無柿(ひらたねなしかき)の原木が、
ここ秋葉区の吉田に現存し、今でも実をつけているという。
色付いた原木の柿を一度見てみたいと思う。
種がないことが、「越後の七不思議」についで8番目に不思議なことから、
別名「八珍柿」ともいわれ、山形・鶴岡地方の庄内柿の親にもなっている。
会津の献上柿「身知らずの柿」との関係もありそうな気がしますが、
いつか調べてみます。
その秋葉区に古くから続くお医者さん、今は眼科医として跡を継いでいる息子さんですが、医院の建物を大事に守りながら今もそこで開業していた。
明治時代後半か大正時代の面影を残す建物、いいですね〜。
建て替えばかリが流行る世の中ですが、古いものを大切にする息子さんの心からは医者の心構えを感じましたよ。
新潟に入ると、関越道は越後平野の真中をまっ〜すぐに伸びる。
片道330Kmの往復を一人で運転した。
行きは好天、帰りは雨になった。
みいさんの生まれ故郷は新潟の新津。今は新潟市秋葉区になってしまった。
かつてはSL機関車の車輌製作などで繁栄した街だったが、
ご多分に漏れず、この街もシャッター街になっていた。残念だ。
磐越西線の終点であり会津方面からの人や物品の交流も多く、
大変に栄えた街でしたが面影が薄くなった。
300年ほど前に生まれたといわれる平核無柿(ひらたねなしかき)の原木が、
ここ秋葉区の吉田に現存し、今でも実をつけているという。
色付いた原木の柿を一度見てみたいと思う。
種がないことが、「越後の七不思議」についで8番目に不思議なことから、
別名「八珍柿」ともいわれ、山形・鶴岡地方の庄内柿の親にもなっている。
会津の献上柿「身知らずの柿」との関係もありそうな気がしますが、
いつか調べてみます。
その秋葉区に古くから続くお医者さん、今は眼科医として跡を継いでいる息子さんですが、医院の建物を大事に守りながら今もそこで開業していた。
明治時代後半か大正時代の面影を残す建物、いいですね〜。
建て替えばかリが流行る世の中ですが、古いものを大切にする息子さんの心からは医者の心構えを感じましたよ。

いつものコースですが、これで暑い夏が終わったと、そんな気がしました。
関町には22時過ぎに帰宅した。